ぽらべあADHD

「悪い奴じゃないんだけどなあ...」と言われがちなシロクマが書いている日記

正論が辛い

自分に落ち度があると分かってて、「何でできなかったと思う?」って聞かれるの本当にしんどい。
答えはずばり、やりたくなかったからです。

なんて言えるわけないんですよね。「やります」って言ったんだから。

相手に悪いところはないし、むしろ辛抱強く話を聞いてくれていると感じる。
迷惑をかけて申し訳ないという気持ちも強い。

でも、違和感が取れない。論理的に正しい意見の前に、自分の感情的な言い訳をぶつけられない。

怒られるとフリーズする人の頭の中

周りにいませんか、叱られてる時ひたすら申し訳なさそうに頭を下げる人。それが僕です。

「何でできなかったと思う?」と聞かれた時点でもう脳は回転を止めてます。
本当の理由はやりたくなかったから。

それを言ったら「あの時やると言ったじゃないか」と返ってくるのは明白じゃないですか。
だから言いません。必死に場を収めるためのそれっぽい意見を探してます。

頭の中は「この時間、早く終わってくれないかな」という気持ちで満たされています。

クズだなあという見方も分かりますが、あながち間違いでもないと思うのです。
そんな委縮しきった状態で建設的な考えなんてできるわけがないから。
正論をぶつけられればおっしゃる通りですとしか言えないし、何か間違ってるか?と聞かれてもいいえとしか答えられない。

叱る目的が相手の行動を変えることなら、こんなにも無意味なことはありません。

叱られた人はその後どうするか。
自分の中の違和感を消化できていないんだから行動は変わりません。(むしろ苦痛な記憶が残ってより熱意を失う)

正論をぶつけるときはSlackかLINEのような、即時性の求められないテキストベースのツールでやってほしい。
でないと落ち着いて自分の行動を振り替えることすらままなりません。

何か言わなきゃと思って言った言葉に本音なんてかけらも宿りませんよ。
なんなら自分の気持ちに反することを言ってまでその場を早く収めようとします。

そして先延ばしにしてやらかしての無限ループ。

それじゃお互い幸せにはなれませんね。

何でやりたくないのか?

その理由は様々ですが、主なものは熱意を失った、締切を強制されるのが嫌だった、等が来ます。
やるといった時は本当にやる気があったんでしょう。
しかし「〇〇までにやってね」と言われたところでウッときて、先延ばしにするうちに熱意を失う。
あとに残るのは見たくもない苦痛なタスクの山だけという寸法です。

世の中、「自分が正しいと思うなら相手が上司だろうと会社だろうと闘うべし」みたいな意見は割と出回っていて、それは確かにそうだなと思います。
では、自分が明らかに間違っててうまくいってない人はどうすればいいんでしょうね?

行動を変えたほうがいい、先延ばしにしないほうがいい。分かってますよ、頭では。
はっきり言って、その手の言葉はもううんざりです。

仕事をできる限り引き受けないのが幸せへの近道かもしれないですね。

自分について

はじめまして、ぽらべあです。

このブログを書いている人について紹介する記事です。

このブログについて

  • 別に悪い奴じゃない
  • 勉強もまあまあできる
  • でも、仕事ができない

こんな人は周りにいませんか? だとすれば、それは僕かもしれないですね。

このブログでは、あまり良くない意味での「勉強のできるバカ」からこの世界がどう見えているかを書いていきます。
「私はこうやって克服した」系の記事はあまりないと思うので、克服談は期待しないでください。
むしろ苦しみの只中にいる自分が何を考えているのかを伝えていければいいなと思っています。

プロフィール (2018年10月時点)

  • 某大学の大学院2年生
  • 軽度のADHD / ASD と診断済
  • 通院歴1年10ヶ月 (2018年10月時点)

ADHDと診断を受けた経緯

僕は 二次障害のうつ をきっかけに心療内科を受診し、ADHD / ASD である という診断を受けました。

さいころから忘れ物が多かったりさっき言われたことを忘れたりと、抜けているところはありました。

夏休みの宿題も最終日まで大半を残すのがいつものパターンで、提出期限を守れなかったことも多々ありました。

しかし中途半端に勉強ができたために問題がある子供して扱われることはなく、自分の中でも大きな問題としては捉えていませんでした。

問題が発覚したのは大学4年生のときでした。そうです、 卒論 です。これが僕の二次障害を引き起こし、ADHD / ASD 的な特徴の欠点が明るみに出ました。

僕の大学では4年生から研究室に配属されます。
夏までは8月末にある大学院の試験の勉強をして、それから半年で卒論を仕上げるというのが基本的なパターンです。

一応研究テーマ自体は早く(5月)から決まり、進捗を伝える報告会も週に1度ありました。 正直に言って、この時点で僕の心に重くのしかかってくるものはありました。進捗を出さなければ怒られて失望させる、というプレッシャーを感じたためです。
(これは思い込みで、別に進捗を出せなくても困っているところを話せればよかったのです。 しかし先輩が優秀で必ず毎週何かしらの成果をだしていたため、自分もそうしなければならないと思っていました。)

そしてもう一つ重大な問題だったのが、研究でのテーマの意味と目的がよくわからず、何をしたらいいのか分からない。

進捗を出さなければいけないという心理的プレッシャーと先行きの不透明感から、早くも僕の中で研究は「嫌なもの」になりました。
ADHD的特性の強い人が嫌なものを前にするとどうするか? そう、 先送り にするのです。

前期は院試を盾に乗り切りました。しかし後期に入り10月。初めての自分の研究テーマと結果についての発表でついに捕まります。
他の人は夏休み前後でがんばって結果を出し、きちんとその成果を発表できていました。

しかし自分は研究にとりかかるのを先送りしていたために「これからこういうことをします」というやっつけ発表しかできませんでした。
新規性や有用性についての検討も全くなされていない計画で、発表は当然のごとく炎上。
「すみません、これから検討します」としか言えない針のむしろに座っているような時間。自分の不甲斐なさにうつむくしかありませんでした。

普通の人は叱られるとやる気が出るのでしょうか?
それは分かりませんが、少なくともこれをきっかけに僕の中で研究は「嫌なもの」から「苦痛なもの」に悪化しました。

先送りは加速し、研究室に顔を出すのも週に2,3度に。

先送りしている自分に落ち度があるのですから、叱られて「次からはがんばってね」と言われても嫌だといえず。
むしろ取り返さなくてはと思って「はい」と言い、また先延ばしにして約束を破って相手も自分も傷つける...

そんなループにはまるうちに研究にとりかかろうとすると吐き気がこみ上げてくるようになりました。
やらなければならないのは分かってる。先生を裏切りたくない。でも、嫌だ嫌だ嫌だ、またきっと怒られる...

自分の不手際ゆえの結果なのでまわりに相談するのも憚られ、心理的な孤立もどんどん進んでいきました。

そして1月、卒論の季節、年末年始が過ぎても起き上がれなくなっていました。

ここではじめて心療内科を受診しました。
症状を調べてADHDかもしれないという心当たりはあったので、その分野に明るいクリニックへ。
ADHD/ASDの疑いが強いという診断をうけ、薬を処方してもらいました。

いま

それからどうしていたのかはよく覚えていませんが、薄っぺらい論文を書き上げて大学院へと行きました。

研究したくないのに大学院に進むというのは意味不明な行動ですが、研究が苦痛で嫌で仕方ないと気付いた頃には院試は終わっていました。
大学院からは心を入れかえてがんばっていこうと自分を納得させましたが、現在も先送りにしてやらかしては怒られるループから抜け出せないでいます。

怒ってくれるだけありがたいのも、先送り癖をなくせばだいたい解決するのも頭では分かっています。
でも心はもう嫌だやめてくれと叫び、結局いつも心が勝ちます。

内定先は決まっていますが、卒業できるかはわかりません。
修士論文を書けるような成果などほとんどないので、内定取り消しを承知の上で留年することも考えています。

死にたいとは思いませんが、全てを放り出して逃げたしたいとはいつも思っています。

でも、今のまま逃げ出しても逃げた先で同じ失敗を繰り返す確率が高いでしょう。

僕は幸せに生きていきたいと願っています。
先送りで人との約束を破り続ける限り、当然人を幸せにはできないし、自分も幸せになれないということをいま痛いほどに実感しています。

頭は言います。約束を守って心穏やかに生きていこう、と。
心は言います。面倒くさい怒られたくない責任なんて持ちたくない、と。

ADHDは残念ながら意志で頭の声に従う力が限りなく弱いです。心のままにしか生きられないのです。
なので心を上手く騙していく方法を考えていきたいと思います。

これは、幸せに生きたいと願うADHDがもがいた記録を残すブログです。